<今日の作家シリーズ:加藤万也展 図録>
加藤万也に騙されてはいけない
初めて彼の作品を見た個展会場では、部屋の真ん中に仰々しい立体作品が鎮座していた。近寄って見るとスイッチがある。これを押せば一体何が起こるのかと期待しながらそっと触れると、スイッチに「OFF」という文字が点灯する。そして何も起こらない。OFFなのだから。しかし、何かが起こるとばかり思っていた私には、一瞬それが理解できない。けれどボタンを押せば何かが起こるというのは私の勝手な思いこみだ。それに気づいて苦笑いする。
私たちはいつもいろいろな経験や知識や情報を総動員して、何が正しくて、何に価値があって、次に何が起こり、自分はどうするべきかを考えている。そのような思考は無意識のうちに行われるので、「それは常識だ」と一言で片付けてしまうことも多い。しかし加藤万也の作品は、それは常識ではなく単なる思いこみかも知れないとささやきかける。
彼の作品のそのような性格には、1997年から99年にかけてのイギリス留学経験が深く関わっているようだ。在英中に制作された「Dart #2」は、ダートボードの上端の、20点の部分だけが描かれている。ダーツのルールに馴染みのない人は的の中心を狙えば良いと思いがちだが、実はこの20点のエリアに矢を集中させた方が高得点をねらえる場合もあるのだ。加藤も最初は友人たちが的の上端ばかりを狙うのが不思議だったそうだが、ルールを知れば何のことはない、それは彼らにとっては常識なのだ。ならば、20点の部分だけあれば十分じゃないか、と作ったのがこの作品だ。面白いのは、ルールを知っている人にとっては十分にして最大の意味を持つこのダートボードが、的の中心が最も重要だと思いこんでいる人にとっては何の意味もなさないということだ。
常識の違いは、国の違いによってのみ起こるのではない。むしろ日常生活に潜む偏った常識の方が、数も多く、気づかれにくい。加藤は身近なものを素材として、我々が思考の前提としている常識や情報を、ずらし、取り去り、偽造する。あるいは盲目的な常識によって信奉される価値を笑い飛ばし、くつがえす。
「Double Negative」の動く模型電車が止まって見えるのは、動きを測るための基準となる地面が逆回転しているからだし、“宇宙からの侵略者”と新聞に書き立てられる“Unidentified Falling Object”は、実はただの人形だ。動いているはずなのに前に進まない電車も、過剰な新聞報道とはうらはらに、ぽつんと横たわる人形も、OFFのボタンを押してとまどう私や、作品の前で首をかしげるあなたと同じく、なんとも頼りなげで居心地が悪そうだ。
それにしても、地球の自転まで勘案すれば、果たして電車は本当に動いているのだろうか?出品されているのが「原寸大レプリカ」であるならば、もしかしたら加藤は本当に“宇宙からの侵略者”を拾ったのではないか?真実はひとつと信じ、求めようとすればするほど、迷路は永遠に続く。それこそが加藤万也の仕掛けた罠だ。
だから、加藤万也に騙されてはいけない。ナンセンスだと憤慨してもいけない。ましてやそこに唯一無二の真実を求めてもいけない。それは常識の外に一歩も出ることの出来ない不自由さを証拠立てるだけだ。どの常識が正しいのでも、どの価値が絶対的なわけでもないのだから。常識はひとつの世界を潤滑に機能させるための約束に過ぎないと、ただ知っておくだけでいい。
小口 斉子(大阪府立現代美術センター学芸員)
2002年2月