<web magazine PEELER reviews/2011年 4・5月号>
答えがでないことと向き合う訓練
常識と思われている事象や事柄も、ほんの少し角度を変えるとまったく違って見えるという場合が少なくない。加藤マンヤは、そんな世界の捉え方が変わる瞬間を、作品をとおして顕在化させてきた。「これって、こういうことでしょ」と、落としどころもいたって明快。ところが、今回はなんともすっきりしない。
たとえば、若い女性の顔が画面いっぱいに映しだされた映像作品《つぼみ》。彼女は、サクランボを口に入れてしばらくもごもごさせた後、丸く結んだ果柄を取り出して見せる。あるいは、写真らしきものが半透明の型板ガラスの額に入れられた《ツチノコ》。ぼんやりとしているが、サツマイモのような形の白い物体がツチノコなのだろうか(それ以前に、ツチノコは架空の生き物のはず……)。
このモヤモヤはいったいなんなのだろう。そう考えるうちに、加藤により用意された解答を探りながら作品を見ている自分に気がつきハッとした。言うまでもないが、美術作品を見たときの感じ方に何が正しいということはない。一般的には正解がひとつとされている学問にしても、じつはそうではない場合もあるし(たとえば「1+1=2」となるのは10進法に限った話で、2進法なら「1+1=10」である)、ましてや世の中は答えがひとつでないことや答えがでないことであふれている。作品を見ることは、そのことを受け入れ、社会と向き合っていく訓練なのかもしれない。
加藤によれば、今展のテーマは見えないところで何かが起こっていることだという。マスメディアにより毎日膨大に垂れ流される情報も、出来事の全容を私たちに伝えているとはかぎらない。しかし、知らされている事柄がそのすべてだと思い込んでいる人も多い。口の中で結ばれるサクランボの果柄や、実体をあらわにしないツチノコ。それらが醸しだす得体の知れない気持ち悪さは、世界で起きているさまざまな事象の見えない部分に問題の核心が潜んでいることを、私たちに気づかせてくれるはずである。
田中 由紀子(フリーライター)
2011年4月