名古屋を拠点とした建築専攻の学生が中心になって運営している「archi cafe Xebec」にて、レクチャーと作品展示を行った。
以下のインタヴューは、その時のスタッフによって収録されたものである。
(全文引用:FLAT.netより)
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Q : このようなカフェでの展示はどうでしたか?
僕は既製品を使った作品が多いんで、ギャラリーや美術館などのホワイトキューブに展示するといかにも現代美術っぽく見えちゃうわけですよ。それだと実は現実感という面白味があまり出てこない。だから、作品だと気付きにくいこういうカフェでの展示は面白かったですよ。
Q : 実際に見に来てくださったお客さんが、万也さんの作品を後ろにして「展示はどこでやってるの?」と聞かれたこともありましたよ。
うんうん、グフフって感じでかすね(笑)つまり場に馴染んでるという事でしょうね。
Q : 万也さんは理系(建築学科)の大学の他に芸術系の大学でも教えていますが、授業を行う上で前者と後者ではギャップはありますか?
基本的に僕が伝えようとしている事は「自分達が今まで持ってきた価値観を一度疑ってみよう」という事なので、自分の美意識に固着する傾向のある芸術系の学生に比べ、建築学科の学生は美術に対して無垢なぶん素直に聞き入れる素地がありますね。
Q : 万也さんはデザイナーへ進むことを考えたことはありますか?
デザインはクライアントがいて成立する領域で、僕がアートにとどまっているのは、クライアントがいなくても成立するからなんです。一時期、デコレーション看板を依頼されて作ってた事があるんですが、アレは簡単にスゴく金になる。ぴゅぴゅぴゅーって一ヶ月ぐらいで作って数百万円ってこともあるわけですよ。オイシイと思うんだけど、それをやってると美術作品を作ってるのが、バカバカしくなってくるわけです。おカネという現実は強烈ですからね。でも妄想かもしれないけど、それ以上の価値があると思ってるんで、こうしてカネにならなくても作品を作り続けてるわけなんです。
Q : イギリスでの滞在や展示の経験から、アートに関しての日本とイギリスの違いは何ですか?
イギリスだとビジネスマンなんかでもアートの話をしてて、それで自分の「ふところ」をはかられるんですよ。
欧米は自分の意見を言う習慣がつくられる教育システムになっていて「なぜ」を凄く聞いてくるんです。
建築の世界もアートの世界もコンセプトが無いものは、ただの「ごっこ」になっちゃうのが多いと思う。言い方悪いけど「建築ごっこ」とか「アートごっこ」とかなわけですよ。徹底的にコンセプトを考え抜いて、自分で自分に「なぜ」を作る。その答えをいかにたくさん持てるかが重要です。当然その一つ一つの答えにも「なぜ」をぶつけていくと、最後にはもの凄い数の「理由」になる。
日本人はディベートが上手じゃない。ディベートすると自分の人格を否定されてるような感覚になるでしょ。それは日本人が「考え抜く事」に慣れていないからだと思うんですよ。日本人は考える事が苦手だからオリジナルがなかなか作れない。そういうところは海外の連中と比べると凄く負けてる。「なぜ」に対する答えをたくさん持ってると「なぜ」に対して一番適切な答えを出せる。
表現する事とは要するに「コミュニケーション」なんだから、相手が求めてる事に対して「一番近いものを出す」ためには、それだけ自分に「ふところ」が必要になってくる。自分らしいモノを生み出すためには、結局は自分の「ふところ」が広くなくちゃいけないんですね。
(2007年2月16日)